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ことはみんぐ

演劇、美術、ミステリ、漫画、BL。趣味の雑感をのこすために。

ウーマン・イン・ブラック②(過去ログ)

観劇公演

2015年9月4日マチネ

名古屋アートピアホール

 

 注意

  • 何の気遣いもなくネタばれしています。
  • 公演概要とストーリー覚書は下記の過去記事を参照してください。

 

kotohumming.hateblo.jp

 

以下、2015年9月にTwitterにて掲載した観劇レポとなります。

 

名古屋のホールはすごかった。すごく声が響く。上から下りてくることは解っていたので勝村さんにはもうしわけないがちらっと後ろを振り向くとちゃんと通路のところでスタンバイしている将生が見えた。あ、いるな、と再び舞台の勝村さんに意識を戻した。そしていよいよ役者の登場だ。ちがうちがう!最初からすごく大きな声で驚いた。その瞬間は声の掠れはそれほど気にならなかった。けれどやはり掠れている。しかし、ホールの響きがいいことばかりではなくよく声は出ていた。ときどき本当につらそうで一度咳払いをしたところもあり、掠れてはいたが声の通りはやはりよく、あれだけ喉が大変そうにもかかわらず決してつぶれている印象はなかった。あの状態でも喉は痛いのだろうか。痛いのだとすれば辛いだろうな。でも相変わらず好きな声で掠れて聴きづらいとか気に障るというようなことは全くなかった。だって本当によく通る声で席が6列目でそれなりに前のほうだったこともあるのかもしれないけれど、ホールがよく響くホールだということも関係するのだろう本当にむしろうるさいくらい声は大きくてよく通った。うるさいというとちょっと語弊はあるが、最初の下りてくるシーンからキップスにだめだしをする冒頭は聴く方であるこっちのほうがまだ音量の慣れていないせいでそう感じただけで徐々に音量が落ちたというわけではなくちゃんと馴染んでいったので決して悪い意味でうるさいというわけではない。最初のシーンは効果音もないため声のほうがさらに目立つというのもあるのかもしれない。もちろん、叫ぶ芝居が多いためそういうシーンでは大声を張り上げてもいたが、効果音にかき消されるということではなくバランスよく耳に届いた印象が残っている。


さて。東京で見たときとかなり芝居は変わっていた。
本当は一番書きたいのはラストの感情の乗りという部分なのだがそれはひとまず後回しだ。

 

 

上記した本当の冒頭。
通路から下りてきた役者が舞台に上がるための階段の場所が東京とは違った。上手の端に階段が設置されているらしくそこから舞台に上がるように設定されていた。東京では真んなからへんだったのでそれが大きく違って驚いた。東京は上手だったが今回は下手だったのでそのあたりの動きはちょっと見えづらく残念ではあった。

 

あと、下手が役者&ヤングキップスゾーンだと思っていたけれど完全下手で見たわりにそれほど下手にばかりいるわけではないんだなとという印象。着替えはばっちりこっちだったけれど角度の問題だろう、それほど目の前にいますという印象は多くなかった。おそらくセンターブロックが一番見切れがないのだろうなというふうに感じた。下手から見ると上手にある装置のほうがよく見えて扉が隠してあるのといきなり現れるのとはたしかによく解ったけれどむしろ衣装のところは真正面過ぎてよくみえなかった。目の前で着替えてはいるけれど席の関係上見通しにくく感じたので上手からのほうが距離はあったけれど着替えはみやすかったのかもしれない。
そういうのはかなりあって籐籠をベッドに見立てて眠るシーンも寝顔は上手側のほうがよく見えたし、下手よりは上手のほうが見易そうだなと思うシーンがかなりあった。

 

ちなみにちょうど視線がくる当たりでは?と一緒に行った方々に言われたのだけれど、下手にいるときよりもむしろ舞台の真ん中から客席を見渡すくらいのときのほうが目が合うような感じはした。
たぶん岡田の身長で下手の客席に近いあたりに立つともっとかなり上のほうに視線がいくのだと思う。むしろ通路より後ろのほうの人の方が目が合ったひとが多かったのではないだろうか。

 

次、キップスが芝居を始めるシーン。
弁護士事務所の所長の役をキップスが演じるシーン。
東京の8/14マチネで見た際にはまず役者が所長という人物の特色を出すために少し偉そうに演じてみせるところからキップスを役に誘導しようとしていた。それは長い足を存分に生かすように机替わりの籐籠に足を乗せてみせたのだが、名古屋の9/4マチネではそんなふうに足を動かしながらも籐籠まではちょっと座った椅子の位置が遠かったのか籐籠に足を乗せることはしなかった。ピョンと足を跳ね上げて組み、偉そうにキップスの方を見るに留まった。キップスは東京での動きと概ね同じで役者を真似て足を高く上げてくもうとするも足が短くてうまく行かないという動き。
しかしそのあとがかなり違った。

まずモノマネだ。東京では役者の方まではモノマネをしているという印象をもたなかった。たぶんしてなかったはず。それかあまりにもへたくそかもしくはさらっとやり過ぎていて気づかなかったのかもしれない。ともかくキップスの方が古畑任三郎の真似をうまくやっているという印象が強かった。けれど名古屋では役者のほうもちょっとへたくそだけど完璧にモノマネをしていますと解るようにやってみせていて続いて同じようにやってみるはずのキップスのほうがもっと上手でここは東京よりさらにこなれて面白くなっていた。
そのあと眼鏡を渡し、キップスがさらに味をしめて眼鏡を小道具に動き出すところも正確な記憶はのこっていないが東京よりさらにオーバーになったのではないだろうか。眼鏡をかけるとちょっとインテリっぽくなるというステレオタイプをおもしろおかしく演じるキップス。インテリチックな感じから老眼鏡のおじいちゃんにどんどん変わっていって眼鏡を頭の上にのせてキップスくん眼鏡はどこだい?てやるところのもったいぶったような、ちょっとほわんほわんいう息遣いのしゃべり方がまたとても面白い。勝村さんはやっぱりすごくサービス精神旺盛できっとやっててすごく楽しいんだろうなと思わせた。

 

黒い服の女。
これも出てくることは解っていたのでちらみして後ろを見てみようと思っていたのだけれどすっかり忘れて舞台のほうを見ていたので通路で待機している姿は見えなかった。けれど下りてくるところはかなり早い段階からみることができた。うわーきたよ。とは思ったけれどやはり二度目ということで怖くはなかった。ただ東京でみたときにはものすごく高速で駆け抜けていったような印象を抱いたのだけれどかなりゆっくりと動いていて、芝居を見る前に一緒に行った方々と話していたときもゆっくり足音もなく近づいてくると聴いていたけれど自分の印象とはまるで違ったのでどうなのかと思っていたけれど本当にゆっくりで驚いた。あれ?すごいゆっくりじゃん。そんなに怖くないぞ?と。どうやら東京では早さの感覚がずれるほどびびっていたらしい。

 

次はケクウィックだ。東京で見たときに本当に勝村さんがケクウィック以外の何者でもなくて本当に圧巻という感じだったのだけど今回はたしかにケクウィックだったけれどケクウィックの印象としては東京で感じた得体の知れない拭いきれない負の感覚、ケクウィックの過去にある哀しみの影をまとっている様子とは違い、ちょっとあっさりしているように感じた。これはもしかすれば二度目である程度見慣れたということなのかもしれないが、たしかにケクウィックには見えるがその向こうのもっと気持ちを重くさせるような哀しみを引っ張ってくる感覚が少し弱かった。ここはちょっと残念かもしれない。とはいえ、ケクウィックはやはりケクウィックで勝村さんぽさが本当にないのでこの人物の表現はかなりすごいなともちろん思わされたのだけれど。

 

扉の登場。
最初、舞台の下手には大きなカーテンがかかっていてその後ろには扉があるのだが見えないようになっている。東京ではその扉がいつ現れたのかわたしにはわからなかった。館の近くの墓地で再び黒い服の女に遭遇して館に逃げ帰り館じゅうのあかりをつけて回るヤングキップスがついに開かずの間である扉の前に行き着いた瞬間初めてそこにいつの間にか扉が現れていたことを知った。その急激な登場に東京では本当に驚いた。なにしろあの扉の先に一体なにがあるのか原作を読んでいたため私にはよく解っていたからだ。だから急にそこに扉があって本当に驚き、すごく劇的な演出に思えた。
けれど名古屋ではそのシーンに入る前の暗転でカーテンが引かれたことを知った。気をつけて見ていたということもあるが席が下手だったことのほうが気づいた理由としては大きい。上手から見ると視線はつねに下手の方へ斜めに向かっている。下手ではその逆だ。だからむしろまっすぐに見えていた場所にかかっていたカーテンが暗転後いきなりなくなって扉が現れてああここで!と納得した。
黒い服の女を館の近くの墓地で再び見てしまったヤングキップスはそれがもはや生きたひとではないと知る。そして開かずの間の扉の前で恐怖に打ち震え泣き出してしまう。声を上げて扉にすがるようにして泣く。

 

あととりあえずスパイダーだ。てのりかな?どんだけちっちゃいんだよ。ていう感じで東京でもあんまり大きな強い声でデイリー氏がスパイダーを呼ぶからどれだけ大きな犬かと思えばちっちゃくしゃがんで迎えて爆笑というふうになってはいたけれど今回は噂にもなっていたけれどほんとちっちゃかった。高さにして10センチ?くらいだろうか。さすがに客席と舞台の距離もあるのでもう少し大きく勝村さんはやっているのかもしれないがそのくらい小さそうに見えた。あの大きさでぐずぐずしていかないからって蹴っ飛ばしたらどこまで飛んでいってしまうかわかったものではないなと思っていたら、東京ではちゃんとヤングキップスのもとにたどり着いていたスパイダーがヤングキップスを素通りしたのでまた笑った。素通りかよ!かわいいなおい!

 

懐中電灯。
東京ではすごく眩しくてあれ基本的に上手に向けているのだろうか。名古屋でも眩しいときはあったけれど東京ほどではなかった。あと会場のくらさが東京の方が暗かった気がする。席の関係だろうか座席の通路側にある足もとを照らすライトがちょっと明るすぎて暗くなるシーンの邪魔になっていた。
そして懐中電灯にてらされる黒い服の女。普通に怖い。ここのシーンは東京ではむしろあまり見えなかった気がする。よく見ていなかっただけだろうか。懐中電灯で当たりをてらしながらふと自らの横へ向けた瞬間そこに浮かび上がる黒い服の女の顔。白く不気味な顔が懐中電灯でてらされてヤングキップスは懐中電灯を投げ捨てる。

 

ついでに。
黒い服の女だけれど、東京でみたときはマスクをしているのかと思っていた。けれど名古屋では真正面からその表情が動くのを見たので特殊メイクのようなものに見えた。皮膚の上になにかで肉付けしている感じだった。白塗りの特殊メイク。頬が高くて目はよく解らない。

懐中電灯を見失ってろうそくを探しに子供部屋へいくシーン。
マッチは二回すった。一度目で概ねろうそくのそばまでいってそこで消えてまた火をつけてろうそくに火を点す。室内の荒れ果てたようすに困惑するヤングキップス。名古屋では箱かなにかに逆さまにぶら下がっている人形が目に入ってそれがかなり怖かった。

 

口笛。
館に二度目に来たときだったろうか。ヤングキップスあリュックを背負って歩きだす際にわざわざ客席を振り返って「口笛をふきながら(館への道をいく)」というせりふがある。これがろうそくが消えてしまったあとのシーンの伏線になっていることに初めて気づいた。
口笛が響いてきてそれを追ってスパイダーが走り出してしまうのだ。スパイダーはすぐにみえなくなってしまう。舞台の真ん中でヤングキップスはスパイダーを読んで叫ぶ。そこへまたあの馬車の音と悲鳴が聴こえる。混乱の極みだ。走りだすやんぐキップス。下手側の通路を駆け上がり、真ん中の通路を通って上手の通路を駆け下りるヤングキップス。びゅんと走っていってしまったのでほとんど走る姿をまともには見られなかった。そして再び舞台に上ったヤングキップスがずっと状況をナレーションしているオールドキップスのせりふに合わせながらゆっくりと沼のなかを慎重に足をもつれさせつつ進み、スパイダーを捕まえて引っ張り上げ後ろへ倒れ込む。ここも下手側からだったので歩いてくる姿が前から見えてああ、こんなシーンだったんだなと東京では見えなかったところが見られたのはよかった。

 

基本的に上手と下手では見える風景がなかり違う。下手は将生側だと思っていたけれどそこまででもないのかもしれない。やはりセンタブロックが一番見やすいのだろうなとは思ったけれどセンタで見る機会はなかったので想像で補うしかない。

 

さて。そろそろ本題である。
ラスト。ヤングキップス最後の語りだ。
まずは東京で感じた違和感から。
キップスに訪れた最後の悲劇、町から引き上げたのち婚約者と結婚し一人息子を授かったヤングキップスはその一歳くらいの息子と妻を事故で亡くす。それを語り出すヤングキップスとしての最後のシーンだ。
東京では語り出しの笑顔に違和感があった。上記したが私は原作を読んでから芝居をみた。だからそのときヤングキップスがなにを語るのか解っていた。だからこそ笑顔を浮かべるヤングキップスに違和感を覚えた。しかし、今回はその笑顔に違和感を覚えることはなかった。なぜならその笑顔は哀しさに裏打ちされた笑顔だったからだ。当然楽しくて笑って語っているわけではない。笑って、せめて笑顔で語り出さなければ哀しさに飲み込まれて泣いてしまう。泣いてしまっては必ず最後まで語らなければならない物語を語ることができない。だから笑って語り出すのだ。
東京ではその笑みの意味をきちんと理解できなかった。もちろん、楽しくて笑っているとは思わなかったけれど、だからこそ哀しいのなら哀しいらしくそんなふうに笑みを浮かべて語るのではなく、せめて笑顔ではなく神妙な表情で語りだすのではだめだったのかと帰りのバスのなかで、その後のレポを書くなかで考えていた。
けれど名古屋ではその笑顔こそがラストを語る上で本当に高い効果を上げていることを知った。

東京でも観劇した方々の話から14日に私が観劇したときの違和感は芝居が変わっていくことで薄れていっているようだとは思っていた。特に東京楽ではラストの感情の乗りが語り終えて劇中劇の終幕となったのちも収まらずカテコまで引きずっていたということを聴き、本当のところはどう変わったのか名古屋で見ることがとても楽しみになった。
ラスト、ヤングキップスは笑みから一転、その哀しみの感情を抑えることが出来ず心の堰を決壊させる。

首筋が本当に赤くなっているのがサイドブロックだったのでよく見えた。劇中劇の役が役者のなかに入っているのではない、岡田将生という役者のなかに劇中劇のヤングキップスとそしてそれを演じる役者という役が完全に入り込んでいた。双眼鏡のちっちゃいのはずっとお守りみたく握りしめていたのだが、レンズを通してみることがなんだかもったいなくて結局一度も使わずに終わったがこのとき双眼鏡ですこしばかりアップで見ていればなみだまでみえたかもしれない。実際のところなみだのしずくをみることが可能なのはどれだけ狭い劇場ではやはり最前からほんの数列だろうし、なみだが流れたかどうかは関係ない。彼はそこで悲劇を語りながら堪えきれずに泣いていた。それだけで十分だ。この物語は語りながらその哀しさをちゃんと表現してあげなければならない。それがキップスが長年苦しんできたことからの解放へと繋がるからだ。
東京でみたときにはその哀しみがここまで深くなかった。役として哀しみを語り、哀しみを表現していた。けれど名古屋ではただ表現として哀しみを見せていたわけではなかった。いや、もしかすれば単にうまくなっただけでこっちがいいように騙されているだけかもしれないが、そう思うほど気持ちが深く込められていた。そう思った。

 

話を聴いた限りでは東京楽では気持ちがこもりすぎてほぼ号泣となってその後の劇中劇が終わったあとの芝居にまでかなり響いていたということだったけれど、名古屋ではそこまでの振り切れた感じはなかった。劇中劇が終わり、最後に最大の種明かしをするシーンでは少し洟をすすっていて細かく表情を見ることが出来ていればまだ涙目くらいではあったかもしれないけれど声に揺れはなく、ちゃんと動揺を抑え込んでいることが解った。それは芝居を成立させるためにとても重要で役者としてはどれだけ役に入り込んで感情が昂ってもそれをうまく切り替えて次のシーンに進まなければならない。それをちゃんと流されずにやっていた。だから、東京での感情の高まりという点での最高潮より名古屋でみた感じのほうが一本の芝居として見たときにはよかったのではないだろうか。
もちろん、東京楽のすごかった!という芝居もきっと本当にすごかったのだろうしむしろ本当にそれをこの目で見てみたかったけれど。
でもお芝居としては私が東京でみたときの違和感をちゃんと払拭してくれたので本当に良かった。

 

岡田将生という役者は本当に舞台に向いている。初めて彼を舞台で生で見て実感した。まず声がいい。それは映像の仕事でも解ってはいたが本当にあれだけ通る声をしているとまでは思わなかった。あの声は本当にいい。そして身体表現だ。手足の長さがとても生きている。そこであのからだが動き、あの声が語るのならそれだけでも見て聴く価値がある。(とか言って言い過ぎかな?笑)本当に見られてよかった。このまま大千秋楽まで突っ走ったらいい。もっともっといろんなものを感じてもっともっと走ったらいい。
次はにーなでシェイクスピアなんでしょ?そうなんでしょ?