ことはみんぐ

演劇、美術、ミステリ、漫画、BL。趣味の雑感。

RED(過去ログ)

公演概要

演出・訳:小川絵梨子

作:ジョン・ローガン

出演:田中哲司小栗旬

敬称略

SIS company inc. Web / produce / シス・カンパニー公演 RED

 

観劇公演

2015年9月25日ソワレ

新国立劇場小劇場

 

以下、2015年9月27日にTwitterにて掲載した観劇レポとなります。

 

 注意

  • 何の気遣いもなくネタばれしています。
  • レポや雑感というほどまとまった感想として書けなかったのでただ感じたことを言葉として吐き出したようなものになっています。

 

なにが見える?

考えろ。
なにが見える。

RED、夜明けのRED。ラストに近いシーン。ロスコが絵の斜め前に尻をついて座り、一筋の光がロスコの背からやはり同じく斜めに絵に向かって射している。あのとき射していた光は青く見えた。でも、絵はあのときの色が夜明けのREDだった。あれが夜明けのREDなんだと思った。

ケンの両親の死を語るシーン。
REDといいながらたぶん茶色に下塗りされたカンバス。そこにオレンジの光があてられる。
茶色にオレンジの光でカンバスが完全に赤に変わる。血の色だ。

白が怖いケンと黒が怖いロスコ

ロスコが新しくやってきた波に飲み込まれそうになっているとケンが指摘してあんたはほんとは守りに入ってるんだみたいなことをまくしたてるところ。
あんたは語ってるだけだ。
全てを言い終わったケンがクビですか、とロスコに問う。
クビ?まさか。初めてお前が存在した。そんな言い方をするロスコ。
このシーンが一番好きだ。
初めておまえは存在した。
二年。二年一緒にいて初めてロスコがケンを認めた。

 

でもそのすぐあとのシーンでお前はクビだ。になる。お前がいるべき場所はあっちだ、とつぶした窓の向こうを指すロスコ。
ちゃんと表現しろ。ちゃんと言え。自分の芸術を。

白い雪。真っ白な。空気が冷たくて窓が開いてることをしった。なんのにおいもしないことで朝なのに朝食のにおいがしないことで異変に気づいた。
妹が見てた。両親の血を。両親の死を。強盗。
妹に見させちゃいけない。そう思って妹を後ろへやった。

僕は描きたい。両親を殺したやつを。いつか描いてやる。

描きたければ描けば良い。
でも芸術とはそういうものか?

感傷だ。あんたがやってることは感傷に浸ってることだ。

考えろ。
考えろ?
考えてばかりじゃないか。考えてるうちに流れはどんどん新しくなってる。

ポロックは自殺じゃない。
いや、酒浸りで田舎道を疾走する車。緩慢な自殺じゃないとなぜいえる?

俺が自殺するならそのときはちゃんと解るようにしてやる。

自殺?自殺するっていった?
自殺?そんなことはいってない。
いや、いった。あんた、まさか。

考えることは九割り。
描くことは一割り。

考えろ。

哲学、宗教。
済い。


ヌードルを食べながら語り合うシーン。
食べながらしゃべるからだらだらカップに零しながらしゃべっている。汚いな〜、もう!と思って見ている。自分でもたぶんそう思った田中はちょっと笑っちゃったりする。むせたりして。

小栗は案外スマートにやってた。

印象としては実は、おぐりはかなりうまかった。台詞のミスは田中にはあったが小栗にはなかった。

でも、この話の主演はロスコだ。ケンがいなければ話は成り立たないが、ロスコが主役だ。ロスコのためにこの話はある。ケンの成長を描いてもいる。でもロスコの話だ。

フォーシーズンズに絵を売らないと決めるロスコ。
七角形のいびつな円を描いたロスコルーム。
お金を返すよ。だから絵を返せ。あんなところで俺の絵は置けない。
だれも見てない。

復讐。
あの絵はあの場所には飾れない。そういわれることが俺にとって最大の賛辞だ。
でも、そうはいわれなかった。
血のRED、臓物のRED、そういうREDだ。歓談と食事の場。見栄と自意識の場所に暗く影を落とすような意図。それを結局拾われることはない。あの場所に来て食事をしてるやつらのなんと鈍いことか。
気分が悪くなるやつがいればいいのにそうもならない。そんな場所に、置けない。

絵によってその絵にふさわしい場所を作り出す。絵が存在することでその絵にとってふさわしい空気を作り出す。そういうふうになるように描きたかった。
でもフォーシーズンズはそうは結局ならなかった。
それどころか絵を踏みにじる空間にしかならなかった。
だからそこには置いておけない。

名声。金。

金持ちになりそこねた。

俺がどこに住んでるのか、恋人はいるのか、結婚はしてるのか。そういうことは聞かなかった。
家によんでくれることもなかった。
あんたは結婚してるのか、家族は?どこにすんでる?なにもしらない。おたがいに。

お前は俺がここでやりやすいように存在する。従業員だからだ。

銀行員みたく整然と。

NHKでみたおぐりインタの台詞はなかった。
金。

混沌。

宗教。

具象と抽象。
具象なら見てそれだけ。
抽象は見て何かを感じてそれが全て。

でも、ちょっと違うなと私は思った。最初そう言われて納得しかけたけど、具象でも見る者によって見えるものはやっぱり違う。抽象画よりは決して極端ではないけれど。ひとによって見え方が違うのはどんな絵でもどんな芝居でもどんな音楽でもなんでもみんな違う。見る者、生み出した人間ではない視点が加わることで全ては変遷する。
たしかに具象画よりも抽象画の方がそういう感覚は顕著だ。でも具象画だから決して視点によって変質しないとは限らない。

REDです。夜明けのRED。
夜明けはREDじゃない。
夜明けはREDです。

あんたなにをやったんだ!?
血、じゃない。絵の具?
描こうとしたんだ。だがかけなかった。
おまえはクビだ。ここにいるやつじゃない。
光の世界へ。
光。
俺の絵には邪魔な光だ。

インスタ。塗りつぶす。
カンバスを。

何度か同じやり取りをして笑いを誘いながら次の瞬間ロスコがケンを怒鳴りつける場面が初めのほうにあった。笑いをたしかにさそってはいた。でもこの瞬間、笑うところじゃないことが空気で解った。でも笑う観客も少なくなくてなんであんたら笑うんだよ!笑うなよ、ここ笑うところじゃないんだよ、もう!
て、思った。自分が正しいと今も思ってる。
細かいやり取りは覚えてない。
観客がその瞬間笑ったことがなんだか許せなかった。そう感じたことだけは覚えてる。

ついでにカフカでもそういうシーンがあった。
なんで笑うんだ、あんたら、そこ笑うシーンじゃないよ!て。
でもそれも具象画と抽象画にある意味肉迫するんだ。
なにをどう感じるかは結局見た者次第。
感じ取る力だって必要だ。そして力がなくたっていい。感じるものはそれぞれだから。

見て、感じろ。考えろ。考えて、感じろ。Don’t think, feel!じゃないんだ。考えて感じなきゃ。考えて考えて。

面白かったんだ。この話。すごく。ほんとに。もう一回見たい。ほんとにそう思ったんだ。
理解はきっとできなかった。でも一回じゃおなかいっぱいにならない話だった。まだ見たい。もっと見たい。理解、したいのかもしれない。きっと理解できないし、理解しきれないけど。

小栗旬は可愛かった。
どういうことなのか自分でも解らん。可愛かった。可愛いよ。うん。
あと、この人、芝居がうまい。
でも、実はうまくなくてもいい。ような気がする。こなれちゃいけないんだ。
てっしーはこなれ感がなかったな。
実はへたかと思わせて、存在感が違った。しめるとこのしめ方が半端ないんだ。たぶん。
小栗は、そう、可愛かった。
こなれるなよ。こなれたら小さくまとまるだけだ。そしてそういうことが一番自分でも解ってるのかも。

こういう小さい劇場で客席と近い劇場でやりたかったという気持ち。自分の望むものと現実の乖離。
まとまった言葉がでてこない。箇条書きしかできない。

劇場アンケートおもしろかった!しか出てこなくてまともに書けなかったことが悔やまれる。今もまともにかけてないけど。

あと、たぶん向き不向きみたいなのもある。たぶん私は物語を追うほうが得意だ。REDは物語じゃない。人間の本質を描く話だ。哲学なんだよ。
この一幕のあいだに二年のときが埋め込まれているけどそれはあってないようなものだ。時間軸は必要ない。時間じゃない。本質を核心を捉えることに時間は関係ないから。
一瞬で掴めるやつは掴める。つかめないやつは掴めない。掴んだ人間の話を、掴んでないやつがしてる。掴みたい人間がしてる。掴みかけてる人間がしてる。掴ませたいと最後には思ってる。そういう感じ。

先生じゃないとかいって先生だしな。

そして、解った気がする。いや、違うかも。でもちょっと思ったんだ。
現実のロスコにはケンがいなかった。あのケンはロスコだ。もうひとりのロスコ。ロスコも光に憧れたのかもしれない。

自己陶酔。してる自覚があったのかもしれない。だからそこから抜け出す方法を必死で考えていた?てっしーが本当はひとりで小栗がてっしーのみてる分身まるでカフカのカラスのような、そんな存在だったらどうなんだろう。知ろうとしない。知ってしまったらそこに存在しないことが解ってしまうから。もちろん、そういう話じゃない。でも実際にはいなかったのなら便宜上ケンという存在を戯曲を書いたひとが持ってきただけならやっぱりロスコは一人だったわけでそういう見方をしてもいいのかな、と思ったんだ。ちょっとね。