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ことはみんぐ

演劇、美術、ミステリ、漫画、BL。趣味の雑感をのこすために。

彩の国シェイクスピアシリーズ第30弾 リチャード二世 再演(過去ログ)

公演概要

演出:蜷川幸雄

作:ウィリアム・シェイクスピア

訳:松岡和子

出演:さいたまネクスト・シアター、さいたまゴールド・シアター

さいたまネクスト・シアター×さいたまゴールド・シアター『リチャード二世』/マームとジプシー『夜、さよなら』『夜が明けないまま、朝』『Kと真夜中のほとりで』|彩の国さいたま芸術劇場

 

観劇公演

2016年2月27日マチネ

さいたま芸術劇場インサイドシアター

 

以下、2016年3月13日にTwitterにて掲載した観劇レポとなります。

 

 注意

  • 何の気遣いもなくネタばれしています。

 

まず、これがインサイドシアターという普段は大ホールの舞台である場所に設置された特設舞台での上演だったということを前提として記しておく。

座席は全席自由でチケットの整理番号順に客席に案内されて好きな席を順番に選べるというものだった。客席へ向かうのに普段は通らない舞台裏を通って舞台の上手サイドから特設舞台へ通されたのでバックステージが見られてそれも楽しかった。
特設舞台の客席は正面と左右にコの字を90度上に回転させた形(四角いU字型)に配置されていて正面席には真ん中に通路が設置されていた。観劇前にアドバイスをもらって私が座ったのは正面席一列目の下手側の通路のすぐ横だった。つまり通路はあるが正面席一列目の真ん中ということになる。チケットの整理番号が5番だったので概ねどこでも座れたのだが、上手側は前の人が座られたので下手側に座った。さて、客席はそんな感じで次は舞台だ。舞台は客席に囲まれた真ん中の広い空間すべてだった。段になっている客席の一列目のその段の真下からすでに舞台という設定だ。U字の空いている部分にあたる正面席の向い側はずっと奥まで舞台という状況だった。さい芸の大ホールの舞台は普通に使うときの見え方でもかなり奥行きと幅があるように見えていたけれど奥行きは舞台上に乗ってもかなりあるな、と感じた。舞台上には特にセットはなにも置かれていない。城内の設定になるときには上にシャンデリアが下がるがそれくらいで他には本当になにもない。舞台の奥も黒いカーテンで仕切られていて舞台装置らしいものはひとつもなかった。今回は固定された舞台装置の代わりとして車いすが多用されているからかもしれない。床は黒いマットな素材におそらく劇中で仕様される車いすのタイヤのあとがところどころについていて立ち位置を示す蓄光テープがそこかしこに貼られていた。こういう細かいところまで見えるのも舞台上に設置された特設舞台ならではで少し面白い。しかし、何度もある暗転中、蓄光テープが気になるということも特になかった。それよりも話を追うことのほうが楽しいからだ。

 

最初、海辺のカフカに使われていたあのシガーロスの曲の冒頭の音とイメージの近い単音が緩やかに音階を踏む。静かな音楽だ。この曲、シガーロスのuntitle #1と同じなのかしら?ちょっと違う?でもよく蜷川さんの舞台で流れている音のような気がする。それはまあともかく、郷愁を誘う静かな音楽に重なって舞台の奥からタイトルロールの王と王妃以外出演者総出な勢いでずらっと何段かに並んで車いすに乗ったゴールドシアターのメンバーと車いすではないネクストシアターの人たちが楽しそうに歓談しながら現れ、客席に囲まれた舞台のほうへとやってくる。ある人は自分で車いすを動かしてあるひとはネクストのひとに車いすをおしてもらって。最初はずらっと並んでいたけれど客席のほうへくるに従ってばらばらに整列が解けて舞台はいつのまにか宮廷でのパーティの様子に変わる。服装は男性は紋付袴、女性は黒留袖で足もとは黒いブーツや革靴だ。女性は結い上げた髪に毛糸やフェルトのような赤い紐を結い込んだり赤系色の花を飾ったりしている。
歓談からやがて車いすを全員が協力して客席に添った舞台の端にずらっと並べ、車いすひとつにつきネクストのひと一人がつくような感じで男女入り交じって若い人がご老体を気遣いながら車いすから下ろし、全員が自分の足で立ってまた舞台の真ん中でわらわらと軽く歓談する。そして、そう思った次の瞬間、車いすの介助をしていた老若男女のペアで向かい合ったと思った瞬間ライティングが変わり、タンゴが響き出す。客席に囲まれた舞台で何十組ものペアが突如踊り出す。歓談からそのモードへの転換が鮮やかで興奮を掻き立てた。ちなみに曲はラ・クンパラシータ、だれでも知っているタンゴの有名な曲だ。とはいえ、曲名はこれを書くときにググって調べたけれど。
この老若男女入り乱れたタンゴシーン。本当に鳥肌が起つほどかっこよかった。音楽に合わせて踊るその手足の動きに従って着物の裾や袖がびしっびしっと衣擦れというにはもっと激しい音を立てる。実際には一糸乱れぬ動きというわけではなかったのかもしれないが、びしっびしっと着物が鳴るその音がすべてのペアで重なって迫力を与え、一糸乱れぬというように見える。タンゴ!タンゴ!タンゴ!!!だ。このタンゴは本当にかっこいい。ライティングもそれまでの赤みがかった柔らかい白熱色から青白赤というような鋭いラインの光に変わってステップに合わせて着物が鳴り、いちいち極めるところをちゃんと止めていてダンス自体も本当にかっこいい。そして女性が足を上げて男性がそれを抱え上げるという動きがまたとてもエロティックだ。配役の関係で最初から最後までゴールドの女性陣はおそらく全員が和装だったのに対し、ネクストのひとたちは最初と最後にも入るこのタンゴのシーンは和装だけれどほかのシーンでは洋装のタキシードのときもあって最後のタンゴシーンで気づいたのだがネクストの女性陣は着物の下にトラウザーズを穿いていて肌が見えない場合があったのだが、ゴールドの女性陣は黒留の下に黒タイツを穿いていてそれが裾からちらっと見えるのが非常にエロティックだった。黒のタイツ………エロい…ばあちゃんたちえろいで……まじで……!!と本気でなった。あと、ダンスシーンは視線が印象的だ。必ず相手の顔を見ている。かなり顔の位置が近いのでそれもまたエロティックだ。
ダンスのペアは必ずゴールドとネクストのひとで組むようになっていて男性パートがゴールドの方なら女性パートはネクストのひとでリードは男性がしているけれど男性がゴールドの方のペアではネクストの女性がゴールドの男性を気遣って踊っているのかなと思う雰囲気ではあった。それでもリードはきちんと男性が取っているように見えていたし、どのペアもすごくかっこ良かった。
そして、舞台上の演者全員でのタンゴが終わるとそれまでのきびきびした背筋の伸びるような雰囲気から一転、また和やかな雰囲気になってダンスのペアごとにネクストのひとがゴールドの人の手を引いてゴールドのひとの車いすまで付き添っていって椅子に座らせてあげてネクストの人がその傍らに立った。

その直後だ。今度は左右の客席の奥から男性が二人現れた。引き合うように真ん中で出会った二人が再び流れ出したタンゴに合わせて男どうしで踊り出す。視線は互いの目に定めたままでどちらもかなり強い眼差しを互いに向けている。この場面は最初からの流れで見ているといきなり現れたふたりがだれなのか踊っている段階では判然としない。当日のキャスト表は出演者の顔写真入りのパンフレットに添えられて椅子にちゃんと用意されていたが、私はまったく顔と名前が一致しておらず、ネクスト&ゴールドシアターの人で顔が解る人は数人、名前まで一致するひとはさらに少ないという状況だったのでこの二人で踊り出した男性二人がどの役のひとなのかが全くわかっていなかった。それが解るのはダンスが終わり、また車いすと歩きのひとが入り交じって歓談を始めたのちに王が登場してからだったのだが、とりあえず、先にこの男性二人は下手から現れたのがモーブレーで上手から現れたのがヘンリー・ボリングブルックだった。
モーブレーとヘンリー・ボリングブルックはリチャード二世という戯曲の冒頭で諍いを起こしている二人だ。つまり、群像でのダンスののちずらりと客席に添って車いすとその介助人的に並んだ諸侯らの面前、舞台の真ん中で手を取り合って踊り出したのは敵どうしだったということになる。互いをまるでにらみつけるように鋭い視線を交わしたまま体をよせ合いヘンリーが男性パートをモーブレーが女性パートを踊る様はエロティカルであるよりたしかに火花が散っているようでダンスの最後、男性パートのヘンリーが女性パートのモーブレーを半ば横抱きにしてモーブレーが背をそらし、喉を反らせて左腕を垂らして音楽が止まるとすぐに互いにぱっとしょうがないから一緒に踊ったんだよ!とでも言いたげな雰囲気で離れていったことにも納得できた。
しかし、この冒頭の男二人でのダンスは話の流れとしてよく組み込んだなと思うほど秀逸だ。
なにしろふたりは敵どうしだ。これから決闘しようと互いにもくろんでいる相手だ。それを組ませて踊らせたその計らいにのちのち王の前に呼び出されてこの二人の正体に気づいた瞬間とてもぞくぞくした。やばい!あれヘンリーとモーブレーだったの!?!?やばい!すごい!なんてことさせるんだ!!!!ととても興奮した。

ということで、ヘンリーとモーブレーのダンスが終わり、車いすが動き出してまたみんなが舞台の全体に散って歓談しているところへ今度は舞台奥から電動車いすがこちらへ向かってくる。最初にそれを察知したのは音だった。ジーッとゴムが擦れる規則正しい電気的な回転音。さっと諸侯が真ん中を空けて真っすぐに電動車いすが正面席の真ん中の通路の前まで進んでくる。階段になっている通路にぶつかるかぶつからないかくらいぎりぎりのところで電動車いすをとめて右手で掴んでいる小さなレバーをカチカチッと小さな音を立てて動かしてくるり車いすの向きを反転させ諸侯たちのほうへと向き直る。登場したのはもちろん王冠をかぶり錫杖を肩にあずけるように左手に持ったリチャード二世だ。演じていたのは初演と同じく内田健司くんだった。和装ではなくタキシードだ。王冠錫杖は身につけているがマントはなかった。そして髪は初演の際には黒だったようだが今回は金髪になっていた。線が細いのは相変わらずで衣装のサイズがあっていないわけではないと思うけれどとにかく細くてうすっぺらい体なのが衣装を着ていても解った。それから電動車いすについても特筆しておく。座面は紫色の座布団、というか、マットだった。紫というのはこの電動車いすがそれまで諸侯が使っていた車いすとは違い、玉座であることをよく表していた。舞台には宮殿を表すためのシャンデリアが下げられることはあってもほかにこれといった説明的な装置や道具類は全くない。これまでの蜷川さんのそういったシンプルな舞台装置での公演でも王宮のシーンではきちんと玉座を用意していたと思うが、今回はその玉座すら設置されるただの玉座ではなかった。この点はとても面白い仕掛けだと思った。ゴールドシアターの方々が使用する車いすが大量に舞台上を行き交うなかひとり老体ではない王が操る電動車いすは本当に普通の電動車いすなのだけれど現代の社会においても手動の車いすと比べて少し特別なというか、こういうと普段から電動車いすを使っている人には失礼に当たるのかもしれないが、少し身構えてしまうような異質感をどうしても意識してしまう。けれどそういう電動車いすというものを見慣れない人間にはそれを玉座として持ってきたことがこの世界の異質さとか歪みみたいなものを突きつけられ、胸の奥を掴まれるようにぞくぞくとした。いや、それだけではない。電動で動くたびにジーッとタイヤが回る音がするそれはその上に少し傾ぐようにして座っているひどく細い王をなんだか借り物のように見せてこの物語の末期を最初から予見させるようでもある。なんとも皮肉で滑稽だ。悲劇とはたしかに当事者には悲劇だが一歩退いた観客にはやはり滑稽なのだろう。それがこの動く玉座によってよく表されていた。また同時に、演出の蜷川さんがもう一年以上車いすでの移動を余儀なくされていることも思い起こさせてこの演出にはまさに現在の彼の存在、状況というものも本当に色濃く投影されているのだなと思い、だからこそこういう演出を思いついたのかと思うと正しい表現ではないかもしれないけれどやはり面白いと思った。そして面白いと思うと同時にやはり皮肉だ。この演目は全体に皮肉が効いている。冒頭、ヘンリーとモーブレーにダンスをさせたこともそうだ。対立している二人のダンスなど皮肉以外のなにものでもない。そんな皮肉が私にはとても好ましかった。つまりかなり好みな演出だ。さすが蜷川幸雄!本当にこの人にはこれからもついていきたい!!そう思った。

さて、話は舞台に戻る。ここまでそれなりの文字数を重ねてきたと思うのだが、実は戯曲としてはやっと始まったばかりだ。なにしろ王の登場でようやく戯曲としては幕を開けるからだ。
王は電動車いすでさっと列席者を両端に分け、モーセ割りをしてどうやら舞台上の上手に当たるらしい正面席を背に列席者たちに向き直る。このとき私は正面席だったのでしかも正面席の階段通路のすぐ脇という真ん中の席だったので王がものすごく近かった。近かったがいかんせん王は正面席に背を向けていたので完全にその表情は解らなかった。王のようすで解るのはその佇まいと声だけだ。まず、声だ。王の声は小さかった。いや、おそらく場内にはそれほど不自由なくその声は届いていたと思う。けれどよくいうシェイクスピア俳優が朗々と歌い上げるようにせりふを口にするという雰囲気とは完全に真逆だった。言葉としては悪いがぼそぼそっとしゃべっていて声を張り上げるということはない。昨年の蜷川さんのハムレットのときに今回リチャード二世を演じた内田くんは異色のフォーティンブラスを演じて話題になったがあのときのフォーティンブラスは本当に前の方の席の人にしかその声が聴こえないのではないかと思わせるような小さな声でせりふをしゃべっていた。戯曲を読んでせりふが頭に入っていない状態ではおそらくあのフォーティンブラスがなにを言っていたのか解らなかった人が大半だろう。今回はさすがにそこまでの小声ではなかった。きちんとあの舞台上に特設された客席には届く程度の声だった。しかし、声を張ることはほとんどなかった。フォーティンブラスの小声はそのお付きであった隊長の威風堂々さと対比してかなり甘やかされた王子様というイメージも今は持っているが、観劇当時に抱いた印象は小さな声で話す王子はまるでいじけているようだと言われているのを見聞きしたがそういうことではなく、王子自身がどうこうということよりもまず王子という高位の存在であるということを逆説的に示しているのかもしれないと考えていた。つまり、王子が表面的にはいじけたような弱々しい存在として現れるがその周囲を固める強い武人たちがその王子に忠誠を誓い、決して王子を軽んじたりないがしろにしたりする様子が見られないことでこの王子がそれだけ屈強な武人たちを従える力を持っているのだと見せているのかもしれないと。今回の芝居ではその感覚にさらに説得力を感じた。この王リチャードはその力を誇示するようなイメージを与えない。しゃべり方もぼそぼそと小さめに話し、あまり声を張ることがない。それは自ら力を誇示しなければ臣下を従わせることができないような薄い基盤の上に立っているわけではなく、王という地位が盤石だと示すことの裏返しなのではないかと思ったわけだ。しかし、冒頭ではたしかにまだ王としての地位は盤石と言ってもまだ大丈夫だろうが、そのうちその自信は揺らぐことになる。それでもリチャードのせりふ回しは話が進むに連れてほんの時折声を荒らげる場面も挟まれるがあまり変わらない。それは、すでに揺らぎかけている地位をまだ大丈夫だとだましだまし振る舞っているからだろうか。そして一気に話はとんでしまうがラスト王冠を剥奪されたのちはその小さな声が本当に頼りなげな寄る辺ない王、いや、退位したかつての王という存在をそのまま表していてこの対比も勝手な解釈だけれど面白いなと思った。

さすがに一気にラストまで飛んでは身もふたもないのでまた話を戻すけれど、この王が最初に登場したシーン、ひとつドキッとした場面があったのでそれは記しておきたい。
ヘンリーとモーブレーが互いに手袋を投げつけ合い、二人のあいだにある諍いを決闘で決着させたいと望んだのに対し王がここはひとまず和解しろというところだ。
ヘンリーに対しては王の傍らに控えていたその父親であるジョン・オブ・ゴーントが説得に当たるけれど、モーブレーには王が手袋を捨てろと命じる。このときヘンリーもモーブレーも簡単に言うことをきこうとはしない。そして王が立ち上がってつかつかとモーブレーの前まで行き、唐突にモーブレーの頬を平手打ちにする。この瞬間、思わず息を飲んだ。それまでずっと王は静かなトーンだったからだ。そしてボーブレーをぶって突き飛ばすような状態になってさえ、王は決して激したようすではなかった。次の「ライオンはヒョウに大人しくいうことを利かせるぞ」というせりふも調子としてはそれまでとさほど変わらず、声を高くするでも荒らげるでもなかった。だからこそ、この瞬間の王がとても怖かった。そして上記した王としての地位が盤石であるからこそ決してその力を誇示する必要がないと思わせる由縁がこういう部分にあるのだと思った。このリチャードは王としての説得力を持っているそう強く感じさせるシーンだった。また、これまでの王は静かでどちらかといえば退屈であったり、やる気のなさのような臣下の諍いも積極的に納めようとする雰囲気ではなく、だからこそ唐突なビンタが王の秘めているサディスティックな部分と鬱屈を表すようで気持ちがざわっとした。冒頭のタンゴで昂揚した心臓に一気に冷水を浴びせかけられ縮み上がるようだった。そして、決して一筋縄ではいかない芝居だと、物語だとしらしめられ、さらにこの芝居の世界に引き込まれた。けれど、冒頭第一幕第一場での揺さぶりはこれだけでも終わらない。戯曲を引いてみればすでに一同退場となっている最後のところだ。王と王の従兄弟であり最終的にこの話のなかでは王をその座から引き摺り下ろして自ら次の王となるヘンリー・ボリングブルックのふたりだけが引き上げていくほかの諸侯を見送り舞台に残る。
なにが起きるのかと私は王から目が離せなかった。臣下たちが引き上げていくのを舞台のほぼ中央あたりで見送っていた王は正面席下手側と下手側の側面席の間あたりでやはり他の諸侯が下がるのを見送っていたらしいヘンリーの前まで歩み寄る。そして向い合うと王がそっと腕を持ち上げ、その指先をヘンリーのくちびるに持っていき、次いでヘンリーのくちびるに触れた自らの指を今度は自分のくちびるへと持っていく。この一連の動きはこのあとにも相手ややる人物が変わって登場するのだけれど、これはくちびるを触れ合わせることのない密やかなキスだ。普通にぶちゅっとくちびるどうしを触れ合わせるキスよりもむしろエロティックで一瞬、この二人の関係を理解するのに時間を要した。なんだか見てはいけないものを見てしまっているのではないかと舞い上がってしまって冷静に考えられなかったからだ。舞台と客席に普通の舞台ならばある段差という断絶がなからかもしれない。普通の舞台は一列目だとむしろ舞台より客席のほうが低いが、この特設舞台は一列目で座っていると舞台とはほぼ地続きだ。舞台上の役者とほぼ同じ目線で舞台を眺めることになる。そのせいかこれまた唐突に始まったいわばラブシーンに、今はこの二人はたしかに二人きりであるはずなのに一歩引くと公衆の面前というか、強制的に覗き見をさせられているというかやはり見てはいけないものを見てしまっている感にかなりドキドキさせられた。しかもそれは密やかなキスなどでは終わらない。王がいきなりヘンリーの服を脱がし始めるからだ。パチンパチンと釦を外していくその指の動きすらエロティックでそんなときでさえ王は表情もさほど変えるふうではなく、やはりとても静かなままだったけれど、ヘンリーの上半身を脱がし、王も同じく脱がされるとまたタンゴだ。今度はヘンリーと王のタンゴ。王が踊るのは女性パートだ。タンゴは距離が近い。冒頭のモーブレーとヘンリーのタンゴではにらみ合っているのが解って視線が鋭い、強いという印象が強かったけれど今回はそれよりもエロティックな雰囲気にところどころ凝視が出来ず、思わずステップばかり目で追ってしまった。互いに軽く右足を後ろに跳ね上げるような動きがあってそれがすごく可愛かった。それにしてもタンゴは距離が近い。踊っているあいだ見てると恥ずかしくてステップばかり見てしまうけれど途中からそれではダメだ!もったいない!!(笑)と思い直して極力表情を追うように心がけたのだけれど、ちゃんと互いの顔を見るようにしていてただなんとなく伏し目がちになっている王がどこか儚くてエロティックでよかった。ダンスのラストではヘンリーの腕に背中を預けてほぼ片足を上げて腕をだらりと下へ垂らして半ば水平に抱きかかえられた状態からそのまま床に沈められた王の上にヘンリーが馬乗りになるように乗って今度こそ密かなキスよりも上半身裸でのタンゴよりも直接的なラブシーンに突入する。書いているとまたちょっと恥ずかしくなるのだけれど、ヘンリーが下敷きにした王の首やら胸やらにキスを落としていくところでようやく第一幕第一場は暗転して終了となる。いやあ、暗転してよかった。これ以上続けられたら目のやり場に困ってしょうがないと思わず暗転してほっと息をついた。
本当に第一幕第一場は怒濤の掴みだった。見事に気持ちからなにからすべて持っていかれた。

第二場は王とラブシーンを演じたヘンリーの父親とその死がヘンリーとモーブレーの諍いを起こすきっかけのひとつとなっているグロスター公爵の夫人のシーンだ。ここの芝居なんだか切々と訴えるグロスター公爵夫人がとてもよかった。こちらもとても哀しくなるような影響力というか真に迫るものがあった。でもそれでいてふっと我に返る感覚が見ていると途中にあってその瞬間、夫が殺されたことを嘆いて殺したモーブレーを断罪してほしいと頼む彼女がひどく滑稽にも見えてやはりこの芝居は皮肉がよく利いていると感じた。
ちなみに、このグロスター公爵夫人の役をやっていた人は記憶にあった。おそらくゴールドシアターで最年長となる女優さんだ。以前蜷川さんのゴールドシアターの公演を追ったNHKのドキュメンタリでクローズアップされていたのでよく覚えていた。
そんな感じでたまには解る役者さんもいるのだが、ほとんどの役者さんが基本的に解らない。
解ったのはタイトルロールの内田くんとヘンリー役の人、ヨーク公、ノーサンバランド伯、あとは上記のグロスター公爵夫人とヨーク公爵夫人だったろうか。ほかにも見たことがあると思ったひとはいたがあまり記憶がしっかりしていない。
そしてキャストに関しては、季節柄インフルエンザが蔓延したのだろうか?観劇の際に当日用意されたらしい配役表には三人病欠、一人怪我で出演見送りと記されていた。なので私が観た回はもともと予定されていたキャストではない部分が多少あったことになる。その一役が冒頭から注目のモーブレーだ。もともとはどの役者さんなのかよく解らないのだが、私が観たときはフィッツウォーター卿をされていた鈴木くんだった。観劇前に私より先に観劇された方からもしかしたら彼がモーブレー役を兼任しているかもしれないと聴かされていて彼にはつい注目して観てしまった。翌日の千秋楽にはもとのキャストの方が復帰されたと聴いたので少しもともとのキャストでの公演も見たかったが、個人的に鈴木くんは急遽増えた役だったはずのモーブレーがタンゴこみでとてもよかったので良い回を観られたと思っている。

次は第一幕第三場だ。ヘンリーとモーブレーの決闘のシーンだ。ただし、試合の用意はされるけれど結局決闘にはならずに終わるのであしからずというところだ。
馬が二頭でてくる。かなり大きい。なにせ人間が二人ずつ上にかぶり物をして馬を形作っているからだ。正面席からみて下手側の馬の方がヘンリーだったのだが、ヘンリー側の馬の後ろ足さんがかなり息が荒い感じでずっと右足(一頭の馬で考えると後ろの右足)を蹴り上げていた。このシーンでは王が正面席の向い側に陣取っていたのでヘンリーが正面席からみると下手にいたのだろう。そのヘンリーが馬を下りて王の手にくちづけ、跪き別れを告げたいと言うシーンがある。第一場で明らかになった恋愛関係と肉体関係にあるらしい二人のもしかすれば片方は死ぬかもしれない別れのシーンだ。少々個人的な嗜好でここはわくわくが止まらなかった。
たしかヘンリーの顔は見えなかったのだけれど王の手をとってくちづけたらしいところはかなりドキドキした。ただし、この場面王はすでにヘンリーに気持ちが行っていないのではないかと感じた。それだけ王はそっけなく、その眼差しにも熱はなかった。ように感じた。事実、この直後、ヘンリーとモーブレーは決闘を許されず、両人ともにイングランドから追放という憂き目に遭うのだが、ヘンリーを追い出したあと、第一幕第四場で王と常に王に追従している側近、王の従弟で王をいさめる役を負っているヨーク公爵の息子オーマール公爵が残ったところで王がオーマールに近づき、第一場のラストでヘンリーにして見せたような指先でくちびるに触れる口づけないキスをしてオーマールの服を脱がし始める。しかも側近たちと話しながらだ。話しながらオーマールに密やかなキスをして服を脱がしてオーマールが上半身裸になったところで再びタンゴミュージックスタート!だ。今回は王が男性パートでオーマールが女性パートだった。ダンス自体はこれまでと同じ女性パートのひとをひょいっと上に投げるような感じで持ち上げたり近い距離で腕や足を絡めながらくるくる回ったり。身長は少しオーマールくんのほうが低いのかもしれない。立場も体格的にも王のほうが勝っているという感じなのだろうか。この場では王は脱がなかったのは内田くんのあまりの細さにオーマールくんも細かったけれどちょっと男性パートとしては細すぎると判断されたのだろうか。それはともかく、このシーンこのあとの展開にも脈々と繋がっている。あとで記すつもりだが、この男性どうしの恋愛模様と肉体関係にせりふではなく芝居で言及する流れはラストまでちゃんと一本の筋として通っている。
第一幕第四場のラブシーンは結局、ヘンリーの父親ジョン・オブ・ゴーント危篤の知らせで暗転に持ち込むまでもなくタンゴを踊ってお開きという状態だったのだが、王がヘンリーから若いオーマールに乗り換えたことでヘンリーとモーブレーを決闘させず両人とも追放という処置に落ち着かせたと思わせる側面があり、それはその方向から見てもこの話が読み解けるようで面白く、リチャードやヘンリーの気持ちの流れを考えるとひとつひとつの演出がよく出来ているなと思う。リチャード二世にはゲイ疑惑があるのでそういう部分を汲んでいるのだろう。

第二幕第一場では王妃イザベルが出てくるのでイザベルについて少し。
戯曲によるとイザベルはまだ9歳だという。子どもだ。でも演じている方は9歳の子どもには見えなかった。せりふも決して幼女のそれというふうではない。せりふだけを読めば二十歳は過ぎていてほしいと思う部分もかなりある。けれど印象としては17,8歳くらいというところだろうか。かなり盲目的に王を慕っている。ただ、蜷川さんのシェイクスピアに出てくる若い女性というのはオールメールでない場合、みんな結構同じような音程のしゃべり方をするなという印象があって以前映像で見たさいたまネクストシアターによる蒼白の少年少女によるハムレットでオフィーリアを演じていたひとを思い出した。役者さんはたしか声自体は違うように感じたので違うひとだと思うのだけれど発生というか音程というかそういうものがよく似ている。

さて、このあとからリチャードにとってはどんどん雲行きが怪しくなって行く。
アイルランドの反乱で出陣しなければならなくなるし、その軍資金として亡くなったゴーントの財産を没収すると横暴な部分をだしてくるし、極めつけは追放されたはずのヘンリーが反旗を翻して戻ってくることだ。
ほぼすべての諸卿がヘンリーにつき、リチャードは簡単に王の座から引きずり下ろされる。

だが、その前にアイルランドに向けて出航した王が戻ってくるシーン、第三幕第二場だ。
一面に波を描いた水色の幕が床に広げられている。風で波打つその幕の海を舞台の奥から現れた王がひどく頼りなげなようすで正面席のほうへ倒れ込みそうになりながら徐々に歩いてくる。タキシードの上着は着ていない。白いシャツも釦がかなり外れていて薄い胸板が見えていて歩いてくるうちにそれがだんだん半裸になっていく。本当に細い。この細さがリチャードのこの後の運命を暗示しているようだった。このシーン、ふらふらふらふらしていて本当に今にも倒れそうで疲労困憊というか、ヘンリーに裏切られたことで心身ともに疲弊しているというかもう王として君臨することは難しいと思わせる弱々しさがあった。最初の場面でモーブレーを平手打ちしたときの怖さはもうない。
それでも長せりふを息を上げるようにしながらも決してよどみなく話していてとてもよかった。
この床に波の幕を広げる演出はそれまでなんにも説明的な道具や装置がなかったところへ持ってきていきなり鮮やかな水色をばーっと目の前に広げられたからとても印象的だった。
舞台の奥から正面席の前までやってきた王は髪が濡れていて水滴が滴っているのが見えてそれが海の水に濡れたという臨場感というより濡れ鼠といったなんというか弱い存在としての王というものをよく表していた。それが印象的だった。

上陸した王は自分にはもう味方がほとんど残されていないことを知らされる。
そしてイングランドに戻ってきたヘンリーが陣取るウエールズの城に王もたどり着く。
このウエールズの城でのヨーク公爵のヘンリーに対する態度がなんだかやさぐれていてちょっと面白い。全般的に悲劇ということもあってあまり笑えるシーンというのは多くないけれどそのなかでヨーク公爵は狂言回しの役回りをよく演じていた。役者さんも記憶にあるひとで出てきたときから老体だけれどあ、ネクストの人だなこの人と解って勝手に親しみを感じていた。
そしてこのあたり、王とヘンリーが城のなかと外とで伝令をあいだにはさみながらやり取りするところでようやく正面席にある階段の通路がかなりの活躍を見せる。ただ階段の一番上に王や他の人たちが姿を現すとライトがちょうど目に入って眩しくてみていられないという難点が。
しかし、人が駆け下りて行くと仮設の席だからだろう、がたがたと椅子まで揺れるので臨場感はたっぷりあった。あと、階段の上に現れた王にオーマールくんが王の置かれた状況を嘆いてこのまま行かせたら王ではいられない、それだけでなくそのいのちも危ないかもしれないと危惧して王の足や腰にすがりついて引き止めるようなでも引き止めることすら出来ないと解っているような芝居が、このお芝居のなかでの王とオーマールの関係を踏まえて見るとなんだか切なくてよかった。けれど、細かい芝居をしているのが眩しいなかでも解ったのだけれど、少しオーマールを演じていた方には申し訳ないけれど演じている感が気にはなった。本当に王を心配するべきシーンでそのなかにはもしかすればオーマール自身の命運というものも含まれた心配かもしれないけれどそれはそれで構わないのでもっと切に心配していると知らしめてほしかった、ような気がする。芝居をしています!という感じが目についてしまったので。もちろん、私の未熟な主観ではあるけれど。
あと、この階段を使うところでは王が打ち拉がれるように階段の下側に倒れ込んだり、もうちょっとあとのシーンだけれど追いすがる王妃を突き飛ばして二段くらいを階段から押しやって落とすというようなシーンもありすごく近くて芝居を観ているというよりもこのお芝居の世界に入り込んで透明人間になってその様子をのぞき観ているというような感覚がかなり強かった。インサイドシアターでの公演は本当に舞台が近くて臨場感が信じられないくらいある。それはすごく楽しい感覚でもあった。なにしろ三十センチくらいの距離で泣き崩れるように打ち拉がれる王が…!半裸で……!!←
基本的に内田くんが半裸なのが最初は慣れなかったけれど途中からはこれをちゃんと見なくてどうするんだ!自分!!と自分で自分を励ましてガン見していた。細い!ガリガリ!でも内田くんの存在感はこの芝居のなかでとてもよかった。
前作のNINAGAWAマクベスでは名前をもらう役だったわりにかなりその存在感が薄くて期待して観に行ったぶん残念だったのだけれど、今回は本当によかった。まあNINAGAWAマクベスはほかのキャストが並みいる存在感を放っているという状況もあったのでそこに名前のある役とはいえそこに太刀打ちできるかといえば難しいのかもしれないけれど。しかし、今回は本当によかった。この役は彼によく似合っているということでもあるだろうか。でもこれからも楽しみな人だ。

さて。芝居に戻ろう。このあたりで一番ぐっと来たのは、王がもう王でいられなくなるシーンだ。
王冠を渡すシーンより少し前、王が負けを認める場面だ。戯曲では第三幕第三場。
ヘンリー・ボリングブルックに降伏するしかないとさとって王が正面席の向い側、舞台の奥から姿を現した。それに対してヘンリーは跪いて王を迎える。謙ってみせるヘンリーに王は冷たい眼差しを向ける。この段階ではもう王がヘンリーに負けたことは決定的となっている。王はまだ王冠を冠り、王のままだけれどすでに王ではない。それでも、リチャードとヘンリーではその格にまだ差があった。なぜなら王の地位を譲ると約した王の前にヘンリーが跪くどころか上半身の服を脱ぎ捨てて平伏しその爪先にすがりついたからだ。
ここのシーンはリチャードとヘンリーの関係をよく表していた。服を脱いだことが多少謎だったが、それも二人のかつての関係を示すものだと考えれば納得できる。リチャードとヘンリーは冒頭、ヘンリーが追放されるまではいうまでもなくリチャードのほうが立場は上だ。くちびるに指で触れるあのキスもリチャードからヘンリーにしたことを考えるとその立場の差をよく表していた。王であるリチャードは30歳そこそこだがもうこのときまでにすでに在位20年ほどの歴史がある。20年、人々の上に常に君臨し、だれよりも立場が上という地位に慣れ親しんできた。それは単なる記号として与えられた王という役割では利かず、確実にその血となり肉となっていたはずだ。存在そのものが王、そのくらいに王という役割が板についていたに違いない。それはヘンリーにはどうやっても追いつけない存在感だ。そういうヘンリーのにわか感が服を脱いで平伏するという芝居によく現れていて印象的だった。このとき、本当ならばヘンリーのほうが立場としては強かったにも関わらず思わず、平伏させられたと見えたからだ。爪先に上半身の服を脱ぎ捨てて平伏するヘンリーを冷たく見下ろし王はこの男になんの未練もないように踵を返す。その瞬間、ヘンリーが叫んだ。いや、笑ったのか?いや、たしか叫んでいた。まるで自分がしでかした恐ろしいことに怯えるように。そして、怯えながらもうなにもかもはなってしまった以上取り返しはつかずこのまま自らが王に即位するしかないのだと開きなおるように。また、それだけではなく、かつてあった王との甘い関係が完全に断ち切られたのだということを認めるために。
そしてこの場は暗転する。

次は第三幕第四場。久しぶりの王妃の登場だ。侍女がかなりの人数で一緒の場面に出てくる庭師もかなりの人数でここは少し喜劇的要素のある場面だった。王妃も最初に出てきたときは9歳には見えないなと思っていたけれどここは10歳くらいなら許容の範囲かなと思えるせりふで少し子どもらしくて可愛かった。侍女がせりふをポンポン回して行く感じも楽しい。でも王妃には哀しい別れが待っていることは変えられずこの場も最後はひっそりと寂しく終わる。哀しみが徐々に強まって行く感じがあった。

第四幕第一場で一番問題だったのは、もちろん王冠の行方だ。まさに王冠の行方を追え!!!とでも言いたい気分である(意味不明)それはともかく、いや、ともかくもなにもない、王冠だ。最初はリチャードなしでリチャードを王座から引きずり下ろす話をしていたのだけれどそれを司教が責めたことでリチャードもその場に呼ばれた。のだけれど、そのリチャード、もちろん王冠は被っていた。被っていたが余計なものがくっついていた。余計なもの、それはワイヤーだった。そう、天井から吊れるようにワイヤーが取り付けられていたのだ。それを見た瞬間、あ、飛ぶんだな。と、真顔で思ってしまったのは仕方なかったと思う。そしてまずはやんわりふんわり飛んだ。リチャードが自ら王冠を放り投げたからだ。そして反対側には王の持つべき錫杖をぽいっと投げた。そちらには特にワイヤーはなくただぽいっと投げた。そして王座は素直に譲るといったがさらに書き記された自らの悪行を読み上げろと迫られまるでだだをこねるように王冠を右手の先に、錫杖を左手の先に置くような位置でその場に両腕を十字に開いて横たわる。このとき、照明はリチャードを真ん中にその腕を横棒にその頭から爪先までも縦棒にして十字を描いていた。まさにキリストの磔刑を思わせる演出だ。そしてリチャード自身記憶は定かではないが王冠と錫杖を投げ捨てたのち自ら上も下も服を脱ぎ捨て下帯姿というのだろうか下着の代わりに白い布を和風ではなく西洋風に巻き付けた格好になっていたため、軽く左の太腿を右の太腿に乗せるような感じで少し曲げた格好で横たわると完全にヴィジュアルはキリストの磔刑だった。
唐突に脱ぎ始めるのですでにシャツの前ははだけ半裸のようなものではあったけれどドキッとした。しかもこのシーンでは上だけでなく下も脱ぎ始めたので驚いた。しかし、キリストの磔刑を思わせる姿は悪くなかった。リチャードにも非はあるはずだが、このときリチャードは潔白だと訴えたのだろう。王座を奪い取ろうとしているヘンリーへの当てつけだ。おまえは無実の自分を王座から引きずり下ろした謀反者だと暗にいうような感じだろうか。

あと、このシーンにも出てきただろうか、舞台の真ん中にまんまるなぼんやりした地球の絵が現れることが何度かあった。あの地球が意味するところを観劇中には上手く掴めなかったのでそれが心残りになっていることを言い添えておきたい。なんだったんだろう、あの地球は。見ているときにぱっと掴んで自分なりの答えをだしておかないと話が流れて行ってしまうとどのシーンで地球の絵が出てきたのかも解らなくなってしまうため今もよく解らないままだ。

それはともかく、磔刑中の王はロンドン塔へ移せといわれ連行されてしまう。そして残ったヘンリーにスポットライトが当たる。ここでようやくワイヤーの本領発揮である。ふわりと浮き上がった王冠がゆっくりゆっくりヘンリーの頭を目指して空中を浮遊してくる。ヘンリーは正面席には背中を向けていたので表情は解らなかった。しかし、微動だにせず王冠が自らの頭にはまる瞬間を待っている彼の背中にもいくらかの緊張感が……あったのではないだろうか。私は本当に息を止める勢いで固唾をのんで見守ってしまった。うそだろ、おい、いや、それむりだろ???と焦るこころのうちを隠しながら、である。多少大げさだけれど。しかし、最終的にヘンリーの頭にやっとのことでたどり着いた王冠はもうちょい右!という着地点だったが素知らぬ振りで時間を取り戻したヘンリーがささっと直して頭に載せて行った。ここは思わず笑いたいような緊張感を客席全体が味わっていたに違いない。

さて少し飛んでヨーク公爵と公爵夫人、その息子のオーマールのシーン。ここ、公爵夫人がとてもよかった。この人は芝居の上手いひとだ。ヨーク公との掛け合いも息がよく合っていて息子の心配をする母親とその存在感にたじたじなヨーク公がそれでも自らの信条も守らなければと一念発起して夫婦喧嘩をしているところはここも多少狂言回し的な意味合いがあるのだろう、面白かった。
けれどここはヨーク公爵夫人の勝ちだ。話の流れもそうだけれど芝居も一枚上手だった。上手い人だ。とてもよかった。

が、しかし、それだけでは終われない。
第五幕第二場から第三場にかけてのヨーク親子どたばた劇のラストがこれまできちんと行間に挟み込まれてきた男たちの恋愛模様最後の一幕となるからだ。
第五幕第三場のラスト、一度王となったヘンリーを裏切ろうとしたオーマールだが両親の、おもに母親のおかげで命拾いをしたところでヘンリーが「これからは忠誠を尽くせよ」と告げるところだ。相手のくちびるに指先で触れて自らのくちびるにその指を持っていくあの密やかなキスを今度はヘンリーがオーマールに対してする。そしてヨーク公らが去ったところでヘンリーがオーマールの服を脱がし、ここでもタンゴだ。ただのタンゴではない。いや、もちろん踊るのはこれまでと同じタンゴだった。女性パートはオーマールだ。そしてダンスのラストヘンリーの腕に抱かれるようにからだを横たえる形となったのち、オーマールはそのまま床に沈められる。そのあとは暗転だが暗喩しているものは誰の目にも明らかだ。そしてここで服を脱がされているときのオーマールの表情はよかった。流されるまま結局自らの保身のために今度は好きでもない男に抱かれるのだと諦めた表情をちゃんとしているように見えた。私の腐ったフィルターのせいだったろうか?そうでもないと思う、ここのオーマールくんはとてもよかった。あの表情がこのあと悲劇が待ち受ける王位を追われたリチャードへの最後の餞になっていたと思ったからだ。この芝居のなかでのオーマールは本当にリチャードを愛していた。言葉にはしない思いがそこにあると思った。もちろん、行間を私が勝手に読んだだけだがそうだったらいいと見ながら思っていた。まあ結局裏切られることにはなるのだけれど。

そして第五幕第五場。リチャードは死ぬ。ヘンリーにリチャードを殺してほしいと頼まれたと思った勘違い男に討たれて死ぬ。最期は剣を使う王が見られてそれはよかったが、やはり死んでしまうと哀しい。そしてラスト、再びキリストを思わせる姿で棺に横たわったリチャードだ。あのガリガリの体がよく効いていた。
戯曲では王となったヘンリーが死んだリチャードを手厚く葬るよう告げるところまでしか描かれていない。けれど、死体となったリチャードが横たわる棺に蓋がされ担ぎ上げられて舞台の奥へと運び去られてからももう少し舞台は続いた。残されていたのはもちろんタンゴだった。リチャードの棺が運び去られたのち、わらわらと舞台全体に散った人々が最初のシーンのように歓談していると突如音楽が響き出す。老若男女入り乱れた和装でのタンゴだ。本当にこのタンゴのかっこいいことといったらない。女性パートの足を上げるところがとてもエロティックで黒タイツが、黒タイツが…!
着物の袖がさばかれてびしびしっと鳴るその音の余韻のなかで男性が女性を軽く横抱きにするようなパートでタンゴは終わってようやく舞台も終了だ。
最後はその場でダンスを解いて正面席左右席と順に礼。最後のタンゴにいなかったキャストが順番に真ん中に進み出てきて最後にリチャードの内田くんが礼。一度引っ込んでみんなでずらっとならんでもう一度カテコ。再び引っ込んでまた出てきて三回目のカテコでおしまい。よかった。とても。

それにしても長かった。ラストは多少早足になったけれど、書きたいことがたくさんあって書いても書いても本当に終わらないのではないかと思った。それだけ演出的に面白いと思う部分が多かった。喜劇とは違う。悲劇だ。お腹を抱えて笑い転げてしまうという面白さではない。それでも本当に面白い舞台だった。三時間オーバーの芝居が決してそれだけの長さを感じさせない面白さを有していた。仮設の客席ということもあってちょっと腰とお尻には辛かったけれどそれでも本当に面白かった。そしてすごかった。とてもかっこいい舞台だった。興奮を抑えられないままここまで書きなぐるだけの面白さと高揚感のある舞台だった。本当に再演とはいえ見られてよかった。そのうち初演の際に映像化されたDVDが出ると信じているのでそろそろそんな話が聴こえてこないかと期待している。見られなかった方はぜひDVDで!見られた方もおそらく昨年秋に上演されていたヴェローナの二紳士と合わせのDVDBOXになると思うのでぜひそちらもおすすめです!