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ことはみんぐ

演劇、美術、ミステリ、漫画、BL。趣味の雑感をのこすために。

彩の国シェイクスピアシリーズ第32弾 尺には尺を②

観劇公演

2016年6月25日マチネ

梅田芸術劇場シアタードラマシティ

 

 注意

  • 何の気遣いもなくネタばれしています。
  • 公演概要と本記事内で触れているさい芸での雑感は以下の記事を参照してください。

 

kotohumming.hateblo.jp

 

まず最初に。さい芸で見たときには違和感があった最初のまだ公演が始まる前のステージの様子から。

今回は開演前からステージに出演者がいることを承知していたので劇場に入ると同時に客席へ向かった。さい芸で見たときにはパンフを買う列にかなり並んでいたこともあり開場からそれなりの時間が経っていた。そのため、すでにほとんどの出演者が舞台の上で思い思いに準備をしているという状態だった。しかし、開場から間もなく客席に入った大阪の公演ではまだほんの2、3人しか舞台にはおらず、たしか装いもきっちり衣装というふうでなくトレーニングウエア的なものだったような気がする。舞台装置の大きなギリシャ彫刻的な絵を描いた衝立も後ろを向いていて完全に準備段階だ。中途半端な準備段階を見ることになったさい芸のときと違い、本当に準備の段階を見たことでさい芸で感じた違和感はなくなった。二度目で慣れたということもあるのかもしれないが、本当にほぼ準備が整っていない段階から徐々に本番へと舞台や出演者の衣装が整えられていく様を順を追ってみたことでさい芸で見たときは”いつかの時代のどこかの人たちがシェイクスピア劇をこれから始める”という雰囲気の演出かと思った開演前の舞台のようすにいきなり時代違いの現代の象徴として現れたように見えたハンガーラックの違和感が、”現代の今目の前にいる役者たちによるシェイクスピア劇”として認識出来たことでハンガーラックにも違和感を覚えることはなかった。どこから切り取ってみるかによって見え方がかなり変わるようだ。大阪では開場直後から見ることが出来、開演前の演出というものに納得もできて良かった。

 

さて、オープニングはこのくらいで。

ではとりあえず一番印象に残ったさい芸で見たときと大阪で見たときの違いから。
一度目にみたときには気づかなかったのだが、最初にイザベラが登場するシーン、修道院に入る準備のために修道女と話をするところだ。その最初の登場シーン、イザベラは舞台に現れると抱いていた白い鳩を放つ。これは本当のラスト、公爵からプロポーズされたイザベラが返事を特にしないまま舞台を去り、演者全員が舞台からはけたあとでひとりそれまでの修道女の装いから白い服に着替えて現れ、青空を背景にやはり抱いてた白い鳩を放つシーンと呼応しているシーンだったと二度目で初めて気づいた。
最初のシーンで鳩にたくされたメッセージは平和や安寧、神の加護といった一般的なイメージだろうか。イザベラ自身の意志や気持ちとはさほど関係がないというか、この時点でのイザベラは自分の意志を主張するということをあまり考えていないというかんじだろうか。それを反映して鳩に託されるイメージもごく一般的なものだけのように思う。
しかし、ラストシーンは違う。ラスト、放たれた鳩に込められたものはイザベラの気持ちに呼応するものだと今回は思った。
さい芸で見たとき、ラストのイザベラの装いが白いドレスだったことから普通に修道女になることをとりやめ返事はしていなかったが公爵との結婚を承諾したということかと思った。しかし、パンフにはラストを明確に書かないことで幅を持たせたということが書かれていると聴き、ああ、そういう見方もできるのかと思った。それを踏まえていたからかもしれないが、今回大阪でみたときにはプロポーズのあとイザベラが公爵に取られた手を振り払うというほど強い表現ではなかったが公爵の手から逃れるように公爵の手を離し、先に舞台の奥へと駆け足で去っていくところが印象に残った。そしてそれもあり、ラスト白いドレスに着替えて出てきたイザベラが修道女にもならず、公爵とも結婚せず、自分自身の気持ちのまま自由を得た、そういうふうに見えた。彼女がこのラストで放った鳩は平和や神の加護などではなく自由を象徴していた。あ、結婚したんだ…ふーん…と思ったさい芸での印象とはまるで違って同じ話のはずなのに面白いものだなと感じ方の違いにも驚いた。

今回のほうが全体的に面白くし上がっていた。ラスト、公爵がプロポーズするところは戯曲的には納得しかねるというか、釈然としないものがやはりあるが、それを芝居にするととりあえずは笑いにすり替わる。それにはラストでの公爵の振る舞いが大きく関わっている。さい芸でみたときにはそう思っていた。公爵を演じられた辻萬長さんが上手く面白く持っていっているためにどうにか笑いにすり替わっている。そう感じていた。しかし、大阪で見た時はそういう雰囲気ではなかった。辻さんが上手く演じているから、ではなく、もっと全体的に喜劇としてこの芝居自体が成熟したような感じがした。辻さんだけでなく、その相手となったイザベラ役の多部未華子さんの動きというか芝居にちゃんと目を向けられたからかもしれない。上記したが、公爵のプロポーズのあとイザベラが公爵の手を離して一人で先に駆け出していくところがある。それに今回はちゃんと気づいたことで観劇する者として喜劇の落としどころを上手く捉えることが出来たということだろうか。今回は喜劇としてとても面白かった。もちろん、納得できるか???というアンジェロとアリアナの関係とかほろ苦さはたしかにあるが喜劇としてはこのくらいの陰があったほうが、悲劇こそ喜劇とよく言われるようにその逆も然りという感があって面白い。二度目に観劇して個人的に感じたのはこの話好きかもしれない。面白い。ということだった。
大阪での観劇ということもあるのかもしれない。大阪のお客さんはよく笑う。今回も遠慮なく面白いところは笑っていた。こういってはおかしいが蜷川さんが最後に演出した作品というどこか覚悟を決めなければ見るのが少し怖いという感覚が梅芸では感じなかった。

そのかわり、というわけでもないのだろうが、休憩が明けて後半が始まった直後くらいだった。ふっと、ほんとうにふっと自然にあれ、今日はニーナいるな、と思った。さい芸で見たときはそういうふうには感じなかったのだけれど、一旦休憩が入ったことで舞台に対する集中がまだちょっと切れているときだったような気がする。舞台だけに集中しているという状態ではなかった。少し気持ちが散漫になっているような感じだった。あれ、今日は蜷川さんこの舞台見てるなと感じた。しかしもちろんそう感じたからといってなにがあるわけでもなくそうおもったのも束の間すぐ舞台へと意識は向かった。でも、この舞台のさい芸での初日を見た方々がきっと蜷川さんが舞台を見られていたとおっしゃっていたように6月25日の梅芸でのマチネにもいらしていたと勝手に思っている。

あとは少しネクストシアターの方々に触れておこうと思う。
開演前の舞台で内田くんはさい芸のとき、舞台前面際あたりの上手の端っこで大人しく立っていたけれど大阪でも概ね同じ場所で大人しく立っていたのであの場所が定位置なんだなと思った。
そしてフロスのところ。片手に持っているのはなんなのかそういえばさい芸のときにも思ったのだけど判然としないままだ。金色のりんごに見えるのだけれど、ワイングラス??とも思ってよく解らなかった。金色のりんごだとすれば、黄金のりんご、つまりギリシャ神話などに登場する不死の実とか、ヘラクレスが竜を倒して手に入れるとかそんな話があるはずだ。なにかそういう意味があるのだろうか?
スローモーションのときにコマネチ?みたくちょっとへんな足踏みっぽい動きをしていてここはやっぱり面白かった。
エスカラスだけスロモが残るのも面白い。

監獄のシーン。上手側で内田くんと堀さんがいちゃこらしているところ、さい芸で見た時はもっといちゃいちゃしているように見えたけれど大阪ではそれほどいちゃいちゃでもないかな、という感じだった。

あと今回はマリアナの周本さんがかなり良かった。この人は声がとても印象的だ。ネクストの女優さんは声が印象的な人が多い。ジュリエット役の方も声が素敵だ。

最後にカテコの様子を。
カテコは三回。
二回目、一度幕が閉じてから再び開いた瞬間、蜷川さんの大きな写真が掲げられているという演出はさい芸と同じだったが、もうその二回目のときから会場はスタオベだった。おそらく総スタンディングだったと思う。

さい芸で見たとき、カテコにほぼ笑顔がなく、演者の皆さんはちゃんと最後まで喜劇を通そうとするように少しおちゃらけてみせるようなふうにされていた石井愃一さん以外はずっと神妙な顔をされていた。
大阪でも概ねそれは変わらなかったのだけれど、多部未華子さんが一度目のカテコで個別のあいさつのあとみんなで一列に並んであいさつする時に舞台袖から駆けてくる演者のだれかがなにかおどけるような姿でもあったのか、そういう雰囲気で少し笑みをこぼしていた。この一瞬の笑みが希望だなと思った。
千秋楽の日、どんな顔で演者の皆さんはカテコに立ったのだろう。見ていないので解らないが、やはりそこに笑顔が少しでもあったならいいなと思う。たとえなみだがあっても少しでも笑顔があったならいい。そう思う。

 


蜷川幸雄さんがいなくなってしまった。彩の国シェイクスピアシリーズまだあと五作も残っているのにいなくなってしまった。哀しい。悔しい、寂しい。もっと見たかった。蜷川さんが作り出す新しい舞台がもっともっと見たかった。でももうこれで最後だからこれからも私は蜷川幸雄演出の新しい舞台はもう見られないけれどこれからも劇場に足を運びます。蜷川さんが観劇の楽しさをもう一度教えてくれたので観客でしかない私にできることは一期一会の舞台に足を運び、自分の心を少しでも敏感に保ってお芝居を見るそれだけだからこれからもたくさんお芝居を見たい。見に行きます、また舞台を。ありがとうございました。