ことはみんぐ

演劇、美術、ミステリ、漫画、BL。趣味の雑感。

高村薫著『照柿』

注)ネタばれあり

高村薫の『照柿』を読み終わってふつふつと沸いてくる興奮を抑えられない。

この話、とても好きな話だった。

もう何年も前に高村薫は『李歐』を一冊読んだきり、他の作品に手を出せずにいた。それは、高村薫が私に合わなかったからではない。むしろその逆だ。『李歐』が本当に私にとっては何度も読み返し、何年経っても熱の冷めない作品だったからだ。初めて読んだ直後に再三再読を繰り返し、その一時の熱が多少、緩やかになってくると一年くらいはさすがに放っておいてでも発作に襲われるように年一、二回読み返すというサイクルがずっと何年も続いていて李歐だけで本当にお腹いっぱい胸いっぱいで他の作品にどうしても手が出せなかった。だから高村薫のその他の作品はずっといつか読もう!と思いながら時々思い出したように積読に作品を追加しつつ読まずに積んできた。

 

けれど、今年の年頭に立てた目標が積読消化だったことを夏の終わりになってようやく思い出し何を読もうかとふと考えて一昨年あたりにそういえばまずはリヴィエラからだよ、と勧められたもののそのままだったなと思いながら『リヴィエラを撃て』を手に取った。

 

リヴィエラを撃て〈上〉 (新潮文庫)

リヴィエラを撃て〈上〉 (新潮文庫)

 

 以来、この数ヶ月ゆっくりだが概刊の文庫作品を順番に読んできた。リヴィエラ黄金を抱いて翔べ、神の火、マークスの山

そしてこの一週間ほど、『照柿』を読んでいて先ほど、読み終わった。

 

照柿(上) (講談社文庫)

照柿(上) (講談社文庫)

 

私は今とても興奮している。月曜の夜中にこんなものを書き始めては明日に差し支えると解っているけれど興奮が抑えられない。

ラスト、合田が電話で達夫に語りかける「俺はあんたになりたい」というそのせりふ。これを合田に言わせるためにこの物語は存在していた。 このラストの瞬間に合田と達夫を連れて行くためにこの物語は存在していた。読み終わったばかりでなにかを言葉にすることは難しい。いつもなにか新たな作品が頭のなかに入って来たとき私は概ね一週間くらいは寝かせておかなければ感想といえるものを吐き出すことができない。だからまだなにも言葉にはできないけれど、青いカラスのくだりが出て来たところからが本当に私にとっては最高のラストだった。達夫が好きだ。合田によって改めて思い出され形作られていく達夫がとても愛しい。私はミステリが好きだ。つまり基本的に人殺しの話が好きだ。しかし、いつも概ね殺人者ではなく探偵側の目線に立ち、人殺しのことはあまり好きにならないのが基本だ。それでも達夫がとても愛しかった。だからこそ悲しいが、達夫が生きていてくれてよかった。彼にこれからの時間があることが幸いだった。いつか合田と再び顔を合わせる時がくることを強く願った。もちろん、これは物語だ。次の作品をまだ読んでいないのでその後の達夫がわずかにでも出てくるのかすら解らず、おそらくそうそう出てくるものでもないだろうと思えば達夫の未来に思いを馳せるのは少し的外れかもしれない。それでもそれだけ私にとってはこの物語のなかの彼らが息衝いていたということだ。達夫が人殺しにならない未来がほしかった。それでも達夫が人を殺したからこそ、幼なじみの合田は本当の彼をようやく見つけることが出来た。深い深い悔恨とともに。こういう、ある意味ではとても残酷な物語が私は好きだ。ひとつ掛け違った釦がもたらす、悲劇。そしてその悲劇を胸に刻んで打ちのめされながらそれでもしぶとく生きていかなければならないひとたちの物語だ。

高村薫著『照柿』とても好きな作品だった。

次は『レディ・ジョーカー』だ。最近は寒くなったのでじっくりあったまるためという口実でお風呂の時間と寝る前が読書タイムだ。上中下巻の三冊、年を越す前に読み終わるだろうか?

合田雄一郎シリーズの三作目も楽しみだ。

 

あ。最後の乱心をもうひとつ。

高村先生の作品はちょっとした少女漫画ちっくな胸きゅんポイントがちょいちょい入ってくるけど、今回はがっつり刑事物なところへいきなり達夫が王子様キャラ(とはちょっと違うか?笑)発揮してきたときは軽く身もだえました。合田くんもなんかあったような気がするけど達夫のほうが少女漫画の住人に近かった…そうだよね、だって十歳か十一歳かそこらの大事な弟分の手紙をずっとずっと大事にしてたくらいだもんね…うう、切ない…泣