クレシダ 雑感
公演概要
演出:森新太郎
作:ニコラス・ライト
観劇公演
2016年9月17日マチネ
シアタートラム
注意
- 何の気遣いもなくネタばれしています。
クレシダ
出演者は全部で七人。その七人が七人とも全員、とても芝居が上手いと感じた。
もちろん、長く続けて来られ、大御所な方やテレビでも活躍している方もいたので上手いのは当然というか予想済みというかそういう点での期待値は始めから勝手に高く見積もって観に行っていた感があった。にも関わらずそんな勝手な予想を裏切ってさらに上手い芝居をみせていただいた。それに勉強不足で申し訳ないのだけれど、今回はじめてお目にかかった若手の方々も本当に良かった。お芝居だということは解っているのだけれど途中、まるで本当にそこの時代、その場所で生きている人たちのように見えたほどだ。
狭い舞台だけれどそこを目一杯つかってこの戯曲の世界を国も時代も違うこの日本に、シアタートラムという劇場に生み出していた。お話は切なさもあったけれど、なんだかとてもしあわせな時間だった。
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彩の国シェイクスピアシリーズ第32弾 尺には尺を②
観劇公演
2016年6月25日マチネ
梅田芸術劇場シアタードラマシティ
注意
- 何の気遣いもなくネタばれしています。
- 公演概要と本記事内で触れているさい芸での雑感は以下の記事を参照してください。
まず最初に。さい芸で見たときには違和感があった最初のまだ公演が始まる前のステージの様子から。
今回は開演前からステージに出演者がいることを承知していたので劇場に入ると同時に客席へ向かった。さい芸で見たときにはパンフを買う列にかなり並んでいたこともあり開場からそれなりの時間が経っていた。そのため、すでにほとんどの出演者が舞台の上で思い思いに準備をしているという状態だった。しかし、開場から間もなく客席に入った大阪の公演ではまだほんの2、3人しか舞台にはおらず、たしか装いもきっちり衣装というふうでなくトレーニングウエア的なものだったような気がする。舞台装置の大きなギリシャ彫刻的な絵を描いた衝立も後ろを向いていて完全に準備段階だ。中途半端な準備段階を見ることになったさい芸のときと違い、本当に準備の段階を見たことでさい芸で感じた違和感はなくなった。二度目で慣れたということもあるのかもしれないが、本当にほぼ準備が整っていない段階から徐々に本番へと舞台や出演者の衣装が整えられていく様を順を追ってみたことでさい芸で見たときは”いつかの時代のどこかの人たちがシェイクスピア劇をこれから始める”という雰囲気の演出かと思った開演前の舞台のようすにいきなり時代違いの現代の象徴として現れたように見えたハンガーラックの違和感が、”現代の今目の前にいる役者たちによるシェイクスピア劇”として認識出来たことでハンガーラックにも違和感を覚えることはなかった。どこから切り取ってみるかによって見え方がかなり変わるようだ。大阪では開場直後から見ることが出来、開演前の演出というものに納得もできて良かった。
続きを読む彩の国シェイクスピアシリーズ第32弾 尺には尺を①
公演概要
演出:蜷川幸雄
訳:松岡和子
彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾 『尺には尺を』|彩の国さいたま芸術劇場
観劇公演
2016年5月28日マチネ
さいたま芸術劇場
注意
- 何の気遣いもなくネタばれしています。
尺には尺を
まず、オープニングが少し変わっていた。
まだ客席も揃わない、開演までそれなりに時間のあるうちからステージにはキャストがみんな出てきていた。普通に舞台上を動き回りながら、発声練習的に声を出してみたり、イメージトレーニングをするように手振りをしてみたり、それぞれに芝居とは関係ない雑談をしていたり。
以前、ジュリアス・シーザーのオープニングでもにたような試みがされていた。シーザーのときは、ローマ帝国の時代とは違う、もっと新しい時代のヨーロッパの街をイメージさせる群衆が芝居の始まるかなり前から舞台の上にいて、それぞれに雑談したりうろうろしたりしているというものだ。シーザーのほうは間もなく開演ですというような場内アナウンスが入った頃、主要キャストも姿を現してやはりそれぞれに雑談したりしていた。そして、舞台が始まる瞬間個人的にとてもかっこいいなと思う演出が入って時代がローマに遡るのだけれどそれはまあネタばれになるので割愛する。DVD出ているのでぜひそちらでご確認を。かくいう私も生では観劇していないのでDVDで見ました。冒頭、めっちゃかっこいい。
それはともかく、シーザーの方は、舞台上にいる群衆はキャスト自身ではなく、演者に与えられたローマ時代とはまた違う時代のある人物という役を演じていた。同じく、蜷川さんの演出のネクストシアターによる蒼白の少年少女たちによるハムレットのときもシーザーと同じように物語の時代とは違う時代の人々が最初に舞台に現れて雑談するような様子からお芝居ははじまり、全員が整列して一礼すると同時に物語は戯曲の時代へと遡ったのだが、このときもシーザーと同じようにやはり演者には演者自身とは違うある時代のある人物という役が与えられていた。こういう始まりはとても面白い。そう思った。今回もそういうオープニングだった。
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